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勉強と修行 [哲学・人生]

人生とは勉強と修行を繰り返していくようなものではないだろうか?

先日アップした画像を沢山の方からお褒めのコメントを頂き、嬉しく思っています。

まあ、写真を撮るのが趣味だとプロフなどにも書いている訳で・・・

それなりに勉強したつもりでいます。

好きこそ物の上手なれ・・・と言いますが
趣味の世界なら、それこそ上達したいと思うのが自然なんじゃないでしょうか?
(仕事なら必然だから)
そう思えば勉強も苦にならない。

最近はデジカメが普及したり携帯のカメラ機能も性能がアップして・・・
写真を撮るのが気軽に誰でもという時代です。

勉強しなくてもそれなりの画像が撮れます。

オイラも最初はカメラの知識も無く、ただ撮っていました。

でも、それだけではカメラのパンフレットなどに載っているような写真は撮れません。

やはり、それなりに勉強が必要でした。
でも、勉強したからといってイキナリ上手く撮れる訳でもありません。

自分のイメージ通りの写真を撮るには修行が必要です。

実はサーキットでの撮影は、6年ブリ2度目の経験です。
前回は鈴鹿の8耐で、まだフィルムのカメラを使っていました。

まあその時は、出来上がりの写真を見て・・・
200カット以上撮って、なかなかというのは5カット位でした。

特に、流し撮りは初めて挑戦して・・・
出来上がりを見ての経験が勉強になりました。

それから、カメラ雑誌などでプロの人はどれぐらいのシャッタースピードで撮るのかデータ等も
気にして見るようになりました。

そういう勉強から今回は自分なりにレンズの選択とか・・・
シャッタースピードと絞りを考えました。

今ではデジカメを使っているので、失敗してもフィルム代を無駄にする心配もないし(笑)

最終コーナー付近は望遠ズームの100~400F4で狙いました。
このレンズは高いだけあって手ブレ防止機能に流し撮りモードが装備されています。

そして、比較的距離に近いホームストレート側では28~75F2.8と使い分けました。

ちなみに、キャノンのデジタル1眼はフィルム用カメラに対してレンズが1.6倍になるので・・・
160~640mm と 45~120mm 相当に換算されます。

カメラの性能的にもシャッターボタンを押してから実際にシャッターが切れるまでの時間差が
コンパクトカメラでは大きすぎますが、デジタル1眼はそこの時間差もほとんど無いし・・・
連写も使えるので、バイクが速過ぎて写ってないという事もありません。

いくらプロのカメラマンでもコンパクトカメラで速い被写体を撮るのは無理でしょう。

つまり、勉強して機材も十分に準備して修行して・・・
初めて上手く出来るんじゃないでしょうか?

そういうのは、カメラに限らず・・・
バイクでも、釣りでも、何でもそうだと思います。

何でも上手く出来るようになるには、情熱が必要なんですよ!

情熱の分だけ、時間やお金を投資出来るんでしょうね。


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未完成、突き詰めていく生き方 [哲学・人生]

先日の夜、テレビを見ていて・・・

世界遺産という番組

http://www.tbs.co.jp/heritage/feature/feature.html

 

建築家 アントニ・ガウディ の特集だった。

 

 

有名な サグラダファミリア やら・・・

 

その他にも未完成の教会が・・・

それも美しい。

 

完成されていない美しさというか・・・

人は完成という結果を求めがちだが・・・

終わりの無い可能性とでもいえば良いのか・・・

未完成という言葉に秘められた神秘的な広がりを感じずにはいられない。

 

 

死ぬまで没頭できる事があるなんて・・・

しかも好きな事を突き詰めて行くように・・・

その結果が、最終的に未完成のままのなっただけの事だ・・・

 

音楽家が演奏の上達を望むように・・・

画家がイロイロ模索しながら自分らしい絵を描こうと追及していくように・・・

職人が技を極めて行くように・・・

 

可能性の追求を望んでいるのならば・・・

死ぬまで人の可能性は終わらない。

 

 

自分は死ぬまで何を極め続けて行くんだろうか・・・?

 


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本質を見るという事 [哲学・人生]

何かの達人になるには本質を見抜く目を養う事が重要だ。

 

プロ野球の選手はゴルフが上手い人が多いようだ・・・

 

スイートスポットでボールの芯を打ち抜きコントロールするという本質的な部分が同じだから

かも知れない・・・

 

ひとつ極めれば応用が利く事が多い。

だから、本質を知るという事は大きい。

 

例えば、マウンテンバイクの場合、4万円程度の物と40万円の物を考えてみれば・・・

素人目で見ると、大差無く思えるかもしれない。

でも、4万円の物は名前ばかりで山を走る為に作られてはいない。

本当はマウンテンバイク風な自転車なのだ。

凸凹の山道を走り続けたら、フレームの接合部が壊れる事も考えられる。

(最近の物は溶接されずに接着剤で付いているのも多い)

40万円の物ならチャンと山を走る事を前提に作られている筈です。

 

マウンテンバイクのルーツは、山で自転車レースをしていた人達が自分の自転車が壊れ

ないで速く走れるように改造していった事から始まりました。

 

そういう基準で見ていくと、まったく2台が違って見えるんじゃないでしょうか?

 

一方は山を走る為にキチンと考えられて作られたもの・・・

もう一方は形だけを真似した普通の自転車・・・

見た目はあまり変わらなくても本質はまったく違うのです。

 

表面的な部分に目が行ってしまうと、本質は解からないという事でしょう。

 

車の世界では よくライバルとして比較されるインプレッサとランサーエボリューション。

この2台はラリーで勝つ為のベース車両としては同じ分野に分類されるのでしょうが・・・

好きな人達から見れば、この2台の本質はまったく違う考えから設計されている。

ランエボは、電子制御技術を駆使してトータル的に速い車に仕上げている。

インプは、低重心やバランス等の基本設計重視で速くする事を目指している。

 

インプに乗っているオイラはランエボを買う事なんて考えた事も無い。

たとえランエボの方が速かったとしても・・・

それは、速さがオイラの求める本質ではないからだ。

だってサーキットでタイムを競うような事しないし・・・(笑)

 

鍛造のピストンリング使ってたり、クイックシフトが標準だったり・・・

目に見えない所までこだわって作っているのがインプの魅力だったりします。

そして、クイックな動きが感覚的に好きだったり・・・

ランエボのような派手さはありませんが、職人気質な所がお気に入りです。

 

パット見では見えないような部分まで知ろうとしない限り、本質は捉えられないのかもしれません。

 

好きこそ物の上手なり・・・

好きな事だから本質が見えてくるのかもしれません。

 

 

人の話だって、表面上で聞いていれば言葉通りにしか受け取れない。

 

人の話の本質を捉えない人は、言葉に振り回される。

どういう意味でその言葉を使ったのかを受け取ろうとしない。

 

自転車に興味の無い人にマウンテンバイクのの本質が見分けられないように・・・

人に興味の無い人は、人の心の本質を見ようとしないから当然だけど・・・

 

愛しているから 『さようなら』 をいう事だってあるじゃない。

それは、『嫌いになった』 という意味じゃないでしょ!

それこそ、心の本質なんだと思う。

 

 

 相手の心を知りたいと思った時から、少しづつ言葉の意味が見えてくるのかもしれない。

 

本質とは面白い物だなぁ・・・


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立ち位置を変えて見ると・・・ [哲学・人生]

オイラの記事に時々出てくる表現に  “そんな風に見える”  という物がある。

 

これは、オイラが立っている位置からはそう見えるという話です。

 

だから、他人と意見が食い違っても全然構わないのです。

 

そういう事なので、どちらの意見が正しいみたいな議論はナンセンスでして・・・

 

コップを真上から見たら丸く見えて・・・

真横から見たら四角い形に見えるのに・・・

丸が正しいか?四角が正しいか? みたいな話だから(笑)

 

上から見たら丸く見える。

横から見たら四角く見える。

そういう事でしょ?

 

なので、みんなそれぞれ立場が違うから・・・

見え方が違うのは当然の事でしょう。 

 

ならば、自分の立ち位置を変えて、見ると・・・

違うように見えるものです。

 

例えば、社長と平社員では立場が違うので意見がズレて当たり前。

物事が違って見えるんです。

 

だから、他の人の意見は参考になります。

 

まあ、そういう事なのでオイラのブログには皆さんが思った事を何でも正直に書いて

もらっている訳です。

 

 

他の場所からは違って見えるという “ただの情報” だとしたならば・・・

他の人からのフィードバックは参考になる物ではないでしょうか?

 

 

自分と意見が違う時に “指摘された”・・・なんて思うと反発心が沸き起こる物です。

(そこが落とし穴)

 

時々、人様の意見を基に自分の立ち位置を変えて考えてみたり・・・

そうする事で幅の広い考え方が身に付く物です。

 

それまでの人生でどんな経験して来たのかで物事の見え方は随分変わります。

それこそイジメに合ったような経験もオイラに大きな影響がある訳です。

イジメられる立場に立った事が無い人には見えないような物が見えたりしますから・・・

 

 

それこそ正直な人間関係の素晴らしさをいくら話したとしても・・・

正直な人間関係を経験した事が無い人にはピンと来ないでしょう。

見た事無い世界の話ですからね。

 

経験していないと想像でしか物を言えないし・・・

 

経験したから見える物、経験していないから見えない物・・・

そういうのは沢山ある筈です。

 

 

オイラがタクシー運転手の立場から記事を書けば、読んだ人の中に少しは違った見え方が

開けて来るんではないでしょうか?

 

バイク乗りの立場から書けば、乗った事無い人にも少しは何かが見えるかも?

 

“こういう物の見方もあるんじゃないの?” みたいに別の視点を提示する事で

沢山の人にイロイロな観点から物事を考えてもらいたい。

 

 

オイラの意見に反発するのは勝手ですが・・・

 

同じ仲間と同じような関係で同じ事を続けていっても新しい経験は出来ません。

 

オイラは突然、普通の人がやらないような事をやらかします。

そんなのに付き合わされた人達は、反発を沢山感じる事でしょう。

 

反発を感じながらもそんな記事に、普段は綺麗な言葉で感情をあまり表さずに記事を書いている

人達が怒りを込めててコメント書いてくれたり・・・

それは、新たな経験だったのではないでしょうか?

 

オイラにとっても自分の心の中を赤裸々に書くというのは新たな経験だし・・・

だから、なかなか上手く書けなかったり・・・

人に伝わらなかったりもします。

 

もっと分かりやすく書けとか、素直に書けという意見も頂きましたが(笑)

 

だったら、見本を見せてくれ!

(他人が読むと分かり難い という情報としては勿論役に立つ意見ですが)

心の中の言葉をどんな風に書いたら伝わるのか、お手本をお願いします。

 

そういう記事を書く立場に立たなければ、難しさも分からないでしょ!

 

 

まあ、これからもこういう記事を書き続けて・・・

立ち位置の違う見え方をオイラなりに感じた事をなども交えて綴る事で・・・

いつもと違う視点からイロイロな事をみなさんに考えて頂ければ幸いです。


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ダークサイドについて思う事 [哲学・人生]

オイラは別に スターウォーズ ファンという訳ではないのですが・・・

相方が 大好きなので結構観ています。

 

そして、オイラにとって興味深い部分は ダークサイド (暗黒面)の事なので・・・

今日はオイラなりにどのように解釈しているのかを書きたいと思います。

 

光と影・・・

陰と陽・・・

 

画像:Yin yang.svg

 

そして、この相反する二つの物が対になりひとつの物が出来上がっている。

 

だから、必ず物事には陰と陽が存在する。

通常は同じパワーバランスで均衡を保っている。

 光の強い場所では影も濃くなるように・・・

 

ところが人の心の場合、時としてダークサイドに飲み込まれてしまう事がある。

ダークサイドに飲み込まれてしまうとダースベーダーになってしまう。

 

 

ダークサイドは隠そうとすれば隠そうとする程、強くなって行く・・・

 

例えば、いつもニコニコしている人や・・・

妙に他人を誉めるような態度の人は、喜怒哀楽のパワーバランスを崩している。

 

だが、これは人前での行動であるから・・・

心の中の闇を相手に見せないようにする為に無意識でバランスを取ろうとしている。

 

そして、そういうダークなパワーを心に封印していると・・・

体を蝕んで、病気になる。

 

暗黒面は否定すれば否定する程、心の中で強く意識に浮き上がってくる。

隠そうとすれば隠そうとする程、泥沼化して行く・・・

 

自分の暗黒面を他人に知られないように意識すれば、心を閉ざすしかない。

心を閉ざせば、行き場を失った邪気は心の中で増幅して行く・・・

そして、人はダークサイドに堕ちて行く・・・

 

秘密の多い人は心を閉ざしている。

思った事を表に出さない人は心を閉じている。

 

ダークサイドに飲み込まれない方法は・・・

ダークサイドを認めてしまう事。

 

まずは、自分が心に闇を持っている事を許す事から・・・

心の闇を外の世界へ開放する事から・・・

そこから始めていかないと、心の闇は浄化される事がない。

 

心の中の闇なのだから心の外側に出してしまえば光が当たる。

つまり、言葉にして心の外へ・・・

そして、徐々に癒されて行く・・・

 

他人を許すというのは、その次の段階だ。

 

心の闇に必死でもがいているうちは、そんな余裕なんてないのだから・・・

 

そういう事が自然体で出来れば良いのだが・・・

 

だから、こういう事は自分の心の問題で・・・

最終的には、他人に問題がある訳ではない。 

 

簡単に許す事が出来ない自分の心の弱さにある。

 

禅問答のようだが・・・

 

人を恨んで許せない自分がいるんだ! という事を許す事から始まる。

 

未熟者の自分では、そこからやって行かないと・・・

 

 

 

他人をダークサイドから救う方法は、何でも話が出来る環境を提供する事。

 

例えば、秘密を抱えて生きている人はダークサイドに落ちやすい。

 

秘密さえも話せてしまう仲間がいれば救いはある。

 

ダークな部分なんて誰にでもあるのだから・・・

 

それを話せて、助け合えるのが本当の仲間だと思う。

 

 

他人のダークな部分が見えた瞬間、その人を切り捨ててしまうのは簡単だ。

そして、自分もダークな部分を隠して生きている人程そういう時は簡単に切り捨てる。

 

自分がダークな部分を許せていないから、他人のダークな部分も受け入れる事が出来ない。

 

他人をダークサイドから救う事は、同時に自分を許す事になる。

 

自分をダークサイドから救う事は、同時に他人を許す事になる。

 

 

正直な人間関係は、ダークサイドに落ちるのを予防するのにつながると思う。

 

 

オイラはそういう事の為に自分のブログを活用したいと思っている。


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